8月26日
シンガポールです。人口構成は中華系が3/4を占めています。
中国人の乗船もシンガポールからでした。我々の次の航海では20カ国、
1700人の乗客だったそうです。
船の中は日本語、英語、中国語、韓国で会話されます。
シンガポールはチャイナタウン、アラブストリート、リトルインディアなど、
国を構成している民族の特徴を表した町があります。


8月22日
香港へ寄港しました。寄港日が1日のときは、早朝に着いて夜遅くに出航します。
8月の香港は高温多湿。バスと徒歩で市内を見学したのですが、汗まみれになって
しまいました。
日本の夏が恋しくなったくらいです。でも西九龍文化地区は、カフェやレストランが
増え、夕日の景色や夜の散歩を楽しむのに最適なウォーターフロントでした。

台風で日程が1日短くなったため、深圳への寄港は中止となりました。
香港、シンガポールに寄った後、インド洋を突っ切ります。
当初はスリランカを経由し、スエズ運河を通って地中海に抜ける予定でした。
しかし、イエメンの反政府武装組織フーシ派が、紅海とスエズ運河を航行する船舶に
対して攻撃を仕掛けていましたので、出航の何か月か前に喜望峰回りに変更されてしまいました。
我々はスリランカのコロンボから飛行機に乗りタンザニアのサファリで1週間過ごし、
その後エジプトで船に合流する計画でしたが、これも中止となってしまいました。
ポートルイス(モーリシャス)、ポートエリザベス(南ア)、ケープタウン(南ア)に
寄ったノリにアフリカの西側を北上し、カナリア諸島(スペイン)、カサブランカ(モロッコ)、ポルト(ポルトガル)、リバプール(英国)、ベルファスト(英国)、レイキャビク(アイスランド)、ニューヨーク(米国)、クリストバル(パナマ)に寄港しました。
パナマ運河に通過後、カヤオ(ペルー)、イースター島(チリ)、パペーテ(タヒチ)、
アピア(サモア)を経て横浜に寄港しました。航路変更前はアピアではなくライアテア島(タヒチ)、オアフ島(ハワイ)に予定でした。これは残念でしたね。

2024年8月17日
快晴の横浜大桟橋を出航しました。もともとは16日が出航日でしたが、台風によって翌日に繰り越されました。見送りは二人の息子です。
船名はパシフィック・ワールド号、7万7千トンのちょっと古いイタリアの豪華客船です。部室は11階、バルコニー付きのツインベッドにしました。
神戸で西日本の方々が乗船したのちに、船長主催のウェルカムパーティが催されました。このときばかりは、皆さん気取った服装です。