広瀬川文学散歩 第9回町田康と東宮七男

市街地の中心を流れる広瀬川のほとりは昔とは見違えるほどの変わりようです。
申し遅れましたが不肖、高井がご案内させて頂きます。

第九回(2001年)萩原朔太郎詩集受賞作。
町田 康(まちだ こう) 大阪府堺市出身 1962年1月15日(61歳)
1981年、19歳でミュージシャンとしてデビュー。パンク系のロックを主体とした音楽活動のかたわら俳優としても活動。そして2000年に小説『きれぎれ』で第123回芥川賞受賞。その後は作家としての活動が主体。現在武蔵野大学文学部教授。
というマルチタレント的な才能の持ち主ですね。

全員・・言わぬが花でしょう
                                 「土間の四十八滝」より
「ドマノシジュウハッタキ」と発音するそうです。

同氏の作品群は、内容よりも字面のテンポ、また美しく危険な言葉を軽やかな世界に置き換えていく力があるそうです。
残念ながらネットからは 「土間の四十八滝」を読むことは出来ませんでした。

別の作品から
     古池や
     きょうびの少女が、暴れ暴れてエメロンシャンプーを手に微笑んでいる
     おっどろいたよ
     一瞬、荒木経惟の写真かなあ、と思ったけれども違う
                            (「古池や 刹那的だな 水の音、が」より一部引用)




萩原朔太郎を語るときに、同じ郷土出身者として忘れてはならない詩人が何人かいます。
その一人が東宮七男(とうぐう かずお)(1897-1988)であります。
同氏は群馬師範学校(現群馬大学共同教育学部)を卒業後、朔太郎に師事。その後同窓の萩原恭二郎(朔太郎との縁戚関係は無い)らとともに前衛的な詩作に入りました。
一切の権力や強制を否定してひたすら個人の自由というものに執着した想いは、朔太郎の気持ちに通じるものが、作風から感じられます。
同氏は群馬ペンクラブ会長、県文学会議副会長などを歴任されていますが、この「花なればこそ」という作品は、同氏80歳を祝う詩碑を作成するために書かれたとのことであります。
自らの傘寿を祝いその記念としての詩碑にしては、同氏の経歴と詩の内容に乖離を感じてしまいます。
一見花のように変色した「わくらば」を自らに例え、うつせみの花を求めて止まないという思いは、この人はひょっとして謙虚な方なのでしょうか。皆さんはどう思われますか? この詩碑は上毛電鉄中央前橋駅前付近にあります。

夕焼け熟れ
わくらば花のごとく燃え
渦まく風に
追われつ追いつ
きびしきあらがい夢と化す
うつせみの花を求めつ
今日もまた
暮れゆく川辺をさまよう
流れゆく
名もなき空の花なれば
ひたひた思いわずろうのみ

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