第八回(2000年)萩原朔太郎詩集受賞作。
江代充(えしろ みつる) 静岡県出身 1952年12月20日 -
広島大学教育学部聾課程卒。筑波大学附属聴覚特別支援学校教諭を務める。
朔太郎賞受賞者の中では私たちに比較的年齢が近い人物であります。
大学卒業後、上京して教員生活をしながら詩作に取り組んだとのことですが、
何を調べてもこれ以上に詳しい情報を得ることはできませんでした。
たがいをよく知るふたりは庭の間に出会い
その日空からきき慣れた
短い構文をまねて声を交わした
「梢にて」より
「江代充の詩篇を読んでいると、いつの間にか、
自分が、ふしぎな超越と浄化の時間にいることに気がつく」
同じく日本の詩人である粕谷栄市氏の江代充氏の作品についての論評です。
まるく手を閉じて
日のなかで不自由の棘を持ちあるく
手指は羽根のある小鳥をまねて動きのままをたもち
わたしはあなたの声である
同じく梢にてからの抜粋です。
年代が現代に近づくと益々作品が難解になっていくような・・・
以前ご紹介したレンガの舗道には、朔太郎の「晩秋」が刻まれています。
昭和9年に発刊された詩集「氷島」からの一品です。
汽車は高架を走り行き
思ひは陽ざしの影をさまよふ。
靜かに心を顧みて
滿たさるなきに驚けり。
巷(ちまた)に秋の夕日散り
鋪道に車馬は行き交へども
わが人生は有りや無しや。
煤煙くもる裏街の
貧しき家の窓にさへ
斑黄葵(むらきあふひ)の花は咲きたり。
秋の夕刻、夕日が散る中にいる朔太郎は自分の人生は有りや無しやと、率直に問いかけています。
そして、最後の行には、むらさきあおいの花は咲きたりと結ばれます。
高貴な紫色をした紫あおいが「葵」の色名で、貧しき家にさえ、斑黄葵(むらさきあうひ)の花が咲くとは、何ともいい響きですが、朔太郎の心情を見事に描き出しています。
朔太郎は第一詩集「月に吠える」大正6年、第二詩集「青猫」を大正12年に発刊し、口語体自由詩として優れた形式として大きく評価されました。島崎藤村らの新体詩から始まった「日本近代詩」は、大正時代に入って荻原朔太郎らにより整い、このあたりから単なる「詩」と称されるようになったそうです。
注記:「斑黄葵」の漢字の横に「むらさきあうひ」と小文字でルビがふられています。