第七回(1999年)萩原朔太郎詩集受賞作。
安藤元雄(あんどう もとお) 東京都出身 1934年3月15日 - 現在89歳
東京大学出身の詩人、フランス文学者、明治大学名誉教授
大学を卒業後大学院入試に失敗したため、時事通信社に入社、パリ在住特派員を経て帰国後創作活動に入るというちょっと変わった経歴の持ち主であります。
但し、幼少期から思春期にかけては、生まれながらにして体が弱く、病気がちで、自宅に籠っては蓄音機でレコードを聴くのが趣味ということで周囲の子供たちと馴染めませんでした。学童疎開地の栃木で栄養失調に陥ったり、寄生虫に身体を蝕まれ慢性的に下痢症状に。また高校時代には肺病を患い一年間の休学・・・とある意味、いかにも詩創作家らしい人生を歩んでおられます。
そう またいつか私たちは逢えるだろう
ただしこんなに賑やかでない
もっとお互いに口数の少ない場所で
「めぐりの歌」より
そう、恐れによって千年、私は生きた。過ぎ行く世紀と千年紀へ向けて季節のめぐりの中から放つ、悲しみという名の文明批評。内と外とのひろがりに時空を超えた詩人たちの声が交錯する…現代詩の新たな基盤を据える連作13篇。-----「BOOK」データベースより
安藤元雄は従来寡作な詩人として知られていた。 ところが,この詩集の内容をなす一 連の詩群 は,前年の1998年に詩誌「現代 詩手帖」に毎月1篇ずつ連続して発表されたもので,安藤元雄の作風を知るものにとっては,すでにそのこと自体が,目を瞠る驚きだった。しかも,この詩集の中心命題は,単なる老年期の心情吐露などを遥かに超えた,百年紀かつ千年紀の終りに当たる,巨大な「時」の移り行きの中での,人類の営為全体の「素晴らしさ」「はかなさ」「虚しさ」であって,世紀の変わり目に,このような試みに身を挺して作品を築上げていった者は,詩人多しと云えども一人もいなかったのである。
「安藤元雄の近作について」入沢康夫 明治大学元文学部教授
【朔太郎「広瀬川」と比刀根橋】の回で簡単に紹介致しましたが、
朔太郎橋のたもとに朔太郎記念館です。しょうび幼稚園の並びに位置しています。
朔太郎橋の反対側には朔太郎像。この橋に立つと右を向いても左を向いてもいたる所に「朔太郎」です。
生家の一部が移設されたということで、建築物としてはちょっと不自然な佇まいですが、典型的な、昔は良く目にした平屋づくりの温もりを感じます。
庭先では犬が遠吠えをしているような。未だ戻らぬ主を偲んでいるのでしょうか。
昔、どこかで見たような。なんとも懐かしく思える光景です。
側面にまわると、オヤご丁寧に屋根の上には猫が2匹。
瓦屋根も少なくなった昨今。さらには地域猫もほとんど見なくなった時代では、
本当に懐かしい一コマ。
よく見ると左端には郵便ポストらしきものが微かに写っています。
そして庭を良く見ると、これもライトアップするための機材なのでしょうか。
もう少し良く観察してから写真に収めれば良かったと、反省しきりです。