第五回(1997年)萩原朔太郎詩集受賞作。
渋沢孝輔(しぶさわ たかすけ) 長野県小県郡出身 1930年10月22日 - 1998年2月8日
東京外国語大学卒後東京大学フランス文学科修士課程を修了。
明治大学で教鞭をとる傍ら、ランボーやボードレールなどフランス詩を研究するとともに、自らたくさんの詩を発表しました。
常に日本の現代詩をリードしてこられた渋沢は、1998年下咽頭癌により67歳でこの世を去りました。すなわち同氏は萩原朔太郎賞の受賞セレモニーに自らの出席が叶わないまま他界されています。
そこからどんな
清々しい空がひろがってゆくか
見えないどんな
生き物たちがそこに降りてくるか
げに何事も一炊の夢か。醒めた視点からきしこし方を見やりながら、
とはいえ、詩人はさらに深い夢を見るべく、酔いどれの境地へ向かおうとする。
何という変幻自在。
現実にあっていともたやすく現実を超越し、固有の霊魂を招きよせながら、幻視の奥深い世界を現出させる。
アニミスティックな詩法の極点を示す。-----「BOOK」データベースより
垂直と水平 天地と東西南北からはじめて 行き方知れずになる これがまず基本である
現実を超越し、固有の霊魂を招きよせながら、幻視の奥深い世界を現出させる、
アニミスティックな詩集。-----「MARC」データベースより
凡人の私からすると言語明瞭、意味不明の極致のような作品ならびに批評であります。

さて、比刀根橋と朔太郎橋の間に小さな橋があります。
現在の橋は平成の世になってから架けられたものですが、調べてみるとなんと明治時代からこの場所に架けられていたそうで(当然、当時は木製の橋でしたが)、面白い歴史を語ってくれています。
現在の橋は平成の世になってから架けられたものですが、調べてみるとなんと明治時代からこの場所に架けられていたそうで(当然、当時は木製の橋でしたが)、面白い歴史を語ってくれています。

まず、何をおいてもこの橋の名前「絹の橋」はこのコンクリート製の橋が出来上がってから命名されたということで、それまではただの橋。名前も付けられなかった橋でした。
この橋のたもとには明治時代から昭和30年頃まで「交水社」という製糸工場があり、そこで働いていた女工さんたちがこの橋を利用して、街中に昼食をとりに行っていました。交水社の跡地はその後「居酒屋あいうえお」となり、現在は駐車場となっています。
この橋を渡った先に蕎麦屋があり、女工さんたちの行きつけの店でした。しかし、昼食の代金もままならない女工さんたちはいつもかけそばばかり。それを見かねた店のご主人が大根おろしをサービスするようになりました。
それが店の名物「絹おろしそば」のルーツです。
現在では大根下ろしが繭の形に添えられています。 そんな歴史をたどりながら食するのも一興。
老舗蕎麦屋の大川屋本店は今は立川町通りに面しています。
この橋のたもとには明治時代から昭和30年頃まで「交水社」という製糸工場があり、そこで働いていた女工さんたちがこの橋を利用して、街中に昼食をとりに行っていました。交水社の跡地はその後「居酒屋あいうえお」となり、現在は駐車場となっています。
この橋を渡った先に蕎麦屋があり、女工さんたちの行きつけの店でした。しかし、昼食の代金もままならない女工さんたちはいつもかけそばばかり。それを見かねた店のご主人が大根おろしをサービスするようになりました。
それが店の名物「絹おろしそば」のルーツです。
現在では大根下ろしが繭の形に添えられています。 そんな歴史をたどりながら食するのも一興。
老舗蕎麦屋の大川屋本店は今は立川町通りに面しています。

橋のたもとには、この橋の説明が記されています。
「絹の橋」
前橋は、江戸時代から「糸のまち」として発展し、横浜開港後は「前橋シルク」の産地として世界にその名を轟かせた。この広瀬川添いにも製糸工場が立ち並び、多くの女工さんたちが働き、この橋を渡って町でくつろいだ。「糸の町前橋」が彷彿としてしのばれる大切な橋である。
この橋は、明治年間に木製として架設された。その後、大正年間にコンクリートによる改修が行われ、この度日本で初めての「世界詩人会議」が当地前橋市で開催されるにあたり、装飾をほどこした改修工事を行い、それまで無名橋であったものを「絹の橋」と命名してその歴史を後世に伝えるものである。
前橋市
確かにその通りなのでしょうが、おかみが絡むとどうも味気なくなってしまいます。
「絹の橋」
前橋は、江戸時代から「糸のまち」として発展し、横浜開港後は「前橋シルク」の産地として世界にその名を轟かせた。この広瀬川添いにも製糸工場が立ち並び、多くの女工さんたちが働き、この橋を渡って町でくつろいだ。「糸の町前橋」が彷彿としてしのばれる大切な橋である。
この橋は、明治年間に木製として架設された。その後、大正年間にコンクリートによる改修が行われ、この度日本で初めての「世界詩人会議」が当地前橋市で開催されるにあたり、装飾をほどこした改修工事を行い、それまで無名橋であったものを「絹の橋」と命名してその歴史を後世に伝えるものである。
前橋市
確かにその通りなのでしょうが、おかみが絡むとどうも味気なくなってしまいます。