広瀬川文学散歩 吉原幸子とレンガ舗道

市街地の中心を流れる広瀬川のほとりは昔とは見違えるほどの変わりようです。
申し遅れましたが不肖、高井がご案内させて頂きます。

第三回(1995年)萩原朔太郎詩集受賞作。
吉原幸子(よしわらさちこ)1932年6月28日~2002年11月28日(享年70歳)
東京都四谷出身、漢学者で銀行家の父を持ち四人兄妹の末っ子で三陽商会の創業者
吉原信之氏は次兄。
子供時代には疎開で渋川市にも一時住んでいたこともあったそうです。
東京大学仏文科在学中から演劇に熱中し、卒業後には浅利慶太の目に留まり劇団四季に
所属。主役の座を得るも、俳優よりも演出を目指していたため早々に退団。
その後は詩作、エッセーや翻訳、舞踊台本なども手がけ、ギタリストや歌手とのジョイントコンサートなど多彩な活動を行い、森進一の持ち歌の数曲にも歌詞を寄せています。
容姿端麗でスポーツ万能だったそうです。結婚、一児をもうけるも離婚、そして作品の
中で自分が同性愛者であることも告白しています。
40代では新宿の街中をバイクで疾走。吞み過ぎて何度もバイクを失くしたとのこと。
50代でパーキンソン症候群を患い、70歳にして肺炎でご逝去。
なんとも飛んでる女流詩人です。

                                        以上、これらもNETからの寄せ集めです。

世界ぢゅうを 泣きつくすには
ヒトの一生では  とても足りない

「花火が消えるまで どれだけ待つの」と繋がります。
詩集「発光」の作品群のうち「日常」から抜粋です。

「人やけものや鳥や魚や昆虫や、いのちを持った者たちが受けねばならない痛苦を、
おのれの痛み、苦しみとして共に身悶える。その優しさが、昼と夜、光と闇、寄せる波と返す波のように、彼女の詩に振幅を広げ、繊細なトレモロをひびかせている」(新川和江)。傷がついに光を発するまで――。存在そのものに至りつく作品となっています。

                                        ということだそうですが、良く解りません。

比較的解りやすい作品をひとつ。
仕事や恋愛で、極めて辛い状況にあるとします。肉体的にも精神的にも倒れそうで、もう立ち続けていることさえできないような。逆風が吹き荒れている中、部屋に一人だけ、いくら飲んでも頭の底が冷たく凍ったままで、世界中で自分がいちばん孤独な夜。
 風 吹いている
 木 立っている
ああ こんなよる 立ってゐるのね 木

 たった3行の詩に救われる人が、慰められる人が、ほんのわずかかもしれませんが、確かにいるのです。
                                        これが同氏の本領なのかも知れませんね。

本当に落ち着いた雰囲気のある小径です。
広瀬川の流れが思いのほか激しかったのが意外でした。
街の静けさが一層、流れの音を際立たせていました。

歩道の一画はレンガ色に敷き詰められています。
川岸の草花と調和のとれたモダンな色合いです。
レンガブロックにはよく見るといろいろな人の名前が刻まれていました。

どうやらアルファベット順に並べられているようなのですが、これらの人たちはこの道にどんな縁があって刻まれているのでしょう?
周囲を見回したのですが、私の見落としだったのでしょうか、どこにも説明が見つかりませんでした。

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