第5回 勅使を助けたイヌ

前橋に帰省した折、太田に寄ってみました。江戸時代、太田は「日光例幣使街道」の宿場町として栄えました。街道は倉賀野で中山道と分かれて玉村、太田を通り、足利を抜けて日光に至ります。
 「例幣使」とは江戸時代、日光東照宮に祀られた徳川家康の命日に、朝廷が勅使を派遣して家康の霊に供物を捧げる一行のことです。
 その勅使たちを助けたイヌの像があると知り、太田市の石原賀茂神社を訪ねてみました。「救命犬之像」と呼ばれる像は、2006年に設置されたものです。背後の石碑には、救命犬の由来が記されています。
  江戸時代、日光に向う勅使の一行がこの神社の鳥居の下で休憩していると、イヌが現れ激しく吠え始めました。勅使のお供をしていた侍が何度も追い払おうとしましたが、イヌは離れずに吠え続けたため、刀を抜いて首を斬ってしまいました。斬られたイヌの頭は宙を飛び、鳥居の上から勅使を狙っていた大蛇に噛みつきました。難を逃れた一行は、危険を知らせるため吠え続けたイヌを殺してしまったことを悔いながら、日光に向ったということです。

「まんが日本昔ばなし」に出てきそうな話ですが、「日本伝奇伝説大事典」(角川書店)を開くと、似たような話が各地に残っていることが分かります。
  平安時代後期に成立した「今昔物語集」の中に、猟犬が吠え続けるので、狂ったのかと思った猟師が殺そうとすると、猟犬は洞穴から出てきた大蛇に噛みつき、猟師を助けたという話があります。室町時代には、吠え立てるイヌを斬り捨てたところ、イヌの頭が大蛇に噛みつき主人を助けたという「義犬」の話が各地で語り伝えられました。太田に伝わる話は、こうした「義犬」伝説に「例幣使」を加味したバリエーションのようです。
ただ、この話には続きがあります。この事件以後、神社では大蛇が鳥居に上れないように、鳥居を撤去したとのことです。そのため今でも、この石原賀茂神社には鳥居がなく、代わりに2本の石柱が建っています。

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