第2回 南極犬タロとジロ

イヌはネコに比べて、飼い主への忠誠心が強いといいます。
その献身的な行動が、時には美談として後世に伝えられて、銅像となるイヌもいます。
そんな銅像を各地に訪ねてみました。(長谷川千尋)

タロとジロは、南極観測隊に同行したカラフト犬の兄弟です。
銅像は名古屋市港区の名古屋港ガーデン埠頭にあります。2頭は、名古屋とは特に関係はありませんが、名古屋港に2代目の南極観測船「ふじ」が係留公開されているため、南極関連で1987年に銅像を置いたようです。
ちなみに、タロとジロを南極に運んだのは初代観測船の「宗谷」で、今は東京お台場に
ある「海の科学館」近くで公開されています。

タロとジロは1956年1月、北海道の稚内市で生まれました。
その年の11月には他のカラフト犬と一緒に南極観測船「宗谷」に乗って東京港から南極に向けて出発しています。南極では1年余り、そりを引いて活躍しました。
しかし1958年2月、第1次越冬隊員たちは悪天候の昭和基地から観測船「宗谷」に撤収、イヌたちは鎖に繋がれて基地に残されました。
本来ならすぐに第2次越冬隊員たちが交代で昭和基地に来る予定でしたが、悪天候が収まらず計画を断念。タロとジロを含め15頭のイヌたちはそのまま南極に置き去りにされることになりました。

イヌたちを置き去りにしたことで、日本では観測隊への批判が巻き起こったそうです。
誰もが、15頭は極寒の南極で亡くなったと思いました。
大阪府堺市の浜寺公園には15頭の銅像があります。この像は、タロとジロの生存が確認される前に造られたものです。そのため、台座には「カラフト犬慰霊碑」という銘板が
はめ込まれています。
当初は石像でしたが、風化が懸念されたため銅像に換えられました。
銅像の前に立つと、15頭が去り行く隊員に向って必死に吠えている様子が分かります。

銅像の後ろに回ってイヌたちの後ろ姿を見ると、置き去りにされた哀しさが伝わってくるようです。
タロとジロの生存が確認されるのは1959年1月14日。第3次越冬隊員たちによってです。
しかし6頭は鎖につながれたまま遺体で発見。7頭は不明でした。

ジロの剥製は上野の国立科学博物館に、前回のハチ公と同じケースに展示されています。タロの剥製は北海道大学植物園の博物館に展示されていますが、まだ見る機会がありません。  
タロ、ジロらと南極に行ったカラフト犬の中には、1頭だけ「シロ子」というメスのイヌがいました。シロ子は南極で8頭の子イヌを産みました。この父親の1頭がジロだそうです。  
シロ子は子イヌ8頭と共に、隊員たちと一緒に日本に戻ってきました。子犬のなかには
その後、南極観測隊に同行したものもいました。  

なお第1次観測隊には、三毛ネコ1匹も南極に行きましたが、隊員と一緒に帰国。
日本に到着して数日後、どこかに行ってしまったそうです。
南極には二度と行きたくないと思ったに違いありません。

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